Chapter. 01 変わりゆくものと変わらないもの

 我が家にはまんぷくという名前の柴犬がいる。基本的に俺が「お手」と言っても聞いてくれない。どちらかというと、手を出せば噛んでくる。そもそも俺は犬が苦手なのだけど、それでもまんぷくは産まれた時から一緒なのでかわいい。

 あまり家にいることのない俺だけど、時間のある時は朝一緒に散歩をする。そして、なんとなく声をかける。「うんちは?おしっこは?今日はなにするの?」と。もちろん返事はないのだけど、まんぷくが何を考えているか想像して会話するコミュニケーションは俺の楽しみの一つだ。

 そして、このコラムは「まんぷくってなんだ?」じゃなくて、「VEJの仕事ってなんだ?」である。とりあえずChatGPTに聞いてみたところ、「私のデータベースにVEJという用語は含まれておりません。」と言っているので、これはいよいよ自分で答えなければならない。

 で、なんだと言われれば、それは「Webと映像の制作会社です」ということでこの話はおしまいってことになってしまうのだけど。ただ、20年以上制作に携わっていると、時代と共に『Webや映像』の役割が変わってきていると感じている。なので、私たちVEJの業務を踏まえて振り返ってみようと思う。
 2000年代前半、映像はパッケージや放送としての制作が多く、WebはFlashといったインパクトある演出などを経て、一方向的な広告や情報の発信という役割だった。
そして2000年代後半、WebはWeb 2.0といわれるように、WordPressなどのCMSを活用しクライアント側でも運用をするようになったり、一方向的な情報発信からユーザーと双方向的な情報交換をするような役割を担うようになったりした。また、YouTubeの登場により、映像もさまざまなアプローチが実現するようになる。そうして、ユーザーからもネットを利用して情報発信することが当たり前になってきた。

 2010年代、SNSが本格的に普及すると同時にスマホでWebや映像を見ることが一般化する。そこでスマホで見やすいWebや、ネット回線の弱いユーザーへの配慮が必要となってきた。インフルエンサーやユーチューバーといわれる人が現れ、制作のプロと素人の境界線がどんどん曖昧になっていったと思う。この頃から、情報発信としての役割はTVや新聞よりもWebやアプリ、SNSなどネットを利用する人の方が多くなってきたように思う。

 2020年代、未曾有のコロナウイルスまん延を経て、ライフスタイルも働き方も大きく変わった。映像や音楽はパッケージからサブスクに変わり、ECサイトを利用することも多くなり、ネット上でお金を使うことが一般化する。そうして、ユーザーも企業も、サイトやWebサービスを“作る・見る”というよりは、“使う”という形に変化してきたような気がする。
 以上が、この20年の間でWebや映像の役割の変遷。それに合わせて私たちVEJも制作する技術をアップデートしてきた。恐ろしい速さで。そして、これからも変わらずアップデートする必要があることを実感している。そう、「Webと映像の制作」という仕事をずっと変わらず続けているが、制作の技術やサービスは時代とともに大きな変化を続けているのだ。

 反対に変化がないといえば、仕事をするのはいつも“人”。私たちVEJも“人”が窓口になって要件をまとめ、ゼロからパソコンを使って“人”が制作する。何かのサービスを利用することもあるけど、プログラムやAIが勝手に作ることなどはありえない。結局のところ、人対人のコミュニケーションから仕事が生まれ制作が進行し納品まで至る。出来上がったWebや映像を見たり使うエンドユーザーも人。

 VEJには営業がおらず、社員や外部パートナーが技術や流行の変化に対応しながらも、これまでビジネスを続けてこられたことの一番の要因は、恵まれたクライアントやVEJスタッフ含め、周りにいる“人”のおかげだと思っている。これから人の作業が次々にAIへと変わってきたら、Webや映像の役割に、どんな変化があるだろうか?そして、VEJはどのようなあり方をするべきだろうか?

 VEJのミッションに「想像をカタチにする会社です」とある。クライアントである企業やお客様の「想像」をWebや映像というカタチで作るという意味である。しかし、それはAIやさまざまなサービスによって、もはやお客様自身でカタチにできる時代がやってきている。そうなってくると、制作会社としてのVEJは必要なくなるのではないだろうか。そうならないように、「想像」の先を作る会社にならなければならないということ。それがVEJが新たに挑戦する「変わりゆくもの」なのだと思うわけです。

Chapter. 02 共感をカタチに そして共有を創る

 じゃあVEJはこれからどんな想像の先をカタチにするのだろうか。実は、Webと映像の制作以外にもう一つの事業がVEJにはある。それは、イベントを主催する事業だ。

 東京では200×年の下北沢ライブハウス企画、2016年の渋谷WWWでの15周年ライブ企画、山梨では、桜座での企画や音楽フェス「ハイライフ八ヶ岳」などを主催している。どれも自分たちのWebや映像をショーケースとして見せるような営業的なものではなく、れっきとした音楽イベントだ。

 じゃあなぜイベントを企画するのだろうか。率直に言えば「やりたい」って思ってしまうからだ。そんな単純な理由でOKを出してくれる代表の池田は、大丈夫なのかと思われるかもだけど……。そして、イベントはとても大変。ものすごく労力もお金も時間もかかる。チケット代に見合うコンテンツや外部スタッフの人件費、会場費、出店者さんの売り上げなどなど、必要経費は山ほどあり、お金に関わる心配事は無限にあるが、実は今までのイベントで利益が出たことがない。

 だから、お金儲けのためではない。なんでだろうと、過去のイベントを振り返って自問自答してみたら、「イベントをやりたい」という衝動と共に、終わった後にお客さんやスタッフ、さまざまな人から「来て良かったよ」、「楽しかった」などの声をかけてもらうことが何よりもやりがいだということに気がついたのだ。

 自分たちが伝えたい音楽や食、商品などを体感してもらい、感想をもらう。そして広める。決して自己満足ではなく、共感し共有してもらうこと。当たり前のことかもしれないけど、これがやりがいだったのだ。

 そして、Webや映像を作るクリエイターや仕事を発注してくれるクライアントも同じことを思っているのではないかと思った。伝えたい商品やサービスがあって、こだわりのデザインがあって、それをWebや映像で表現して、クライアントやエンドユーザー、クリエイター同士で共感し共有する。そしてさらなる広がりを巻き起こそうとする。こんなことを思うようになったのだ。Web制作も映像制作もイベント主催もVEJにとってはすべて同じことを目指しているのだと。

 「共感をカタチに、そして共有を創る。」そう目標を掲げてみると、Webと映像だけでは足りないことにも気がついた。人になにかを伝える手段すべてが必要となる。もちろん今のVEJには足りないことだらけだけど、持ち前の「変化」に対応する力をもって、そして、今まで以上に人の手を借りて、Webや映像に限らずさまざまなアプローチを身に着けて行く必要があると。

 その最たる例が、今年6月にオープンした展示と雑貨のお店「文化沼」だ。「文化沼」で実現するのは、共感の共有を創るチャレンジ。共感してほしいことを展示したり、商品化したり、出店したり、自分たちの技術をフル活用して共感を得るために、さまざまなものを生み出す。そして計測し解析をする。俺が文化沼でやりたいのはそういうことだ。

 VEJは過去のイベント主催や文化沼で、共感の共有を実感してきた強みがある。クライアントワークにおいても、お客様が何を伝えたいのか、何を解決したいのか、今まで以上にクライアントと並走しながら、共感ポイントを見出し、さまざまなスキルをもってカタチにしていくこと。それがこれからのVEJが目指すミッションなのだと。

 少なくとも俺はそれが使命だと思ってるのでした。

Chapter. 03 変化の果てに持続可能を想像する

 変わりゆく役割や技術、変わらないのは人ありきだということ。そして、共感をカタチに共有を創るという話をした。

 これからどんな未来が来るのだろうか。どんな未来を望んでいるのだろうか。俺は喜びや悲しみを分かち合うことが人の幸せだと思っている。家族、友人、同僚、地域の人、さまざまなコミュニティで。

 思い返せば、吉祥寺に住んでいた頃、カウンターしかないハモニカ横丁の馴染みの店に行くのが好きだった。店主といつもいる常連さんとたわいもない話をするのが楽しかったからだ。

 山梨に来てからもそれは同じで、ランチで行く店、夜飲みに行く店が増えていって、なんだか街全体が馴染みの店のように感じる。山梨は人が少ないせいか、どこかで誰かに会う。
「おはよう」、「こんにちは」、「元気?」、「この前はありがとう」、「またね」みたいな簡単な“小さな会話”をする。それだけで十分だと思うのだ。地方は街全体が小さなコミュニティなのだと。

 さまざまなコミュニティで誰かのことを想い、話しをする。出会いと別れを繰り返しながら。自分が望む持続可能な社会とは、これが続くこと。

 先日、文化沼での展示の情報収集として、カフェやお菓子工場、ワイナリーや味噌屋など知り合いの事業者を訪れるツアーを山梨で行った。どこの事業も100年以上続いていて、まさに持続的だと思うのだけど、地方にはそういった企業がざらにある。100年以上となれば5代目、6代目と親から子へ意思が引き継がれるわけだ。本当にすごい。

 Web業界で100年以上続いている会社は存在していない。20年程度のVEJですら、業界では老舗といわれるくらいだ。そう、Web業界のサービスや事業は、数年で立ち上がっては無くなりを繰り返している。恐ろしく展開が早いのだ。

 もちろん継続することがすべて正しいとは思わないけど、持続性がうたわれるこの時代。地方で歴史のある事業、ネット上の短期的な事業、それぞれが現代には存在しているなかで、VEJの業務がどうあるべきかは考える必要があると思っている。

 山梨訪問のツアーで、ぶどう栽培が盛んな勝沼も、かつては蚕を取り扱う事業者が多かったことを知った。何百年続く企業も、すごく長い時間軸のなかで大きく事業を転換することがあったのだ。

 たぶん、持続性とは、ただ事業を続けることをいうのではない。事業はWebサイトと同じように、ただの手段に過ぎないかもしれない。それよりもっと大事なのは、人が事業を通じて、実現したいアイデンティティが存在することだろう。

 俺を含めVEJは、そのアイデンティティに共感し、寄り添う会社でいたいと思った。そのためには、まずちゃんと顔を合わせて「おはよう」という“小さな会話”ができる関係が必要だ。俺は、同僚の柊子の髪型が変わったこと、ニシキのメガネが変わったこと、マイコハンの服が突拍子もないこと、そのどれにも全く気がつかないけれど、「おはよう」は言える。

 吉祥寺の飲み屋が好きだったように、お店で、街中で、イベントで、声をかけ合うことができて、それぞれのコミュニティが憎しみあうのではなく、尊重し合う社会、それが世代を超えて続くことを望んでいるのです。

 そう、今朝もまんぷくと散歩しながら、「うんちする?」と“小さな会話”を重ね、その都度、手をガブっと噛まれるのだけど、ここからがスタートだと思いつつ、100万年前からそびえ立つ八ヶ岳を見て「山に比べたら人間なんてちっぽけだな」と、思うのでした。
おしまい。

宮沢 喬

Digital producer / VJ

VEJ 甲府支社長 / Web Producer / VJ。2016 年に山梨県への移住をきっかけにVEJ 甲府支社に設立。WEB 制作の傍ら、VJとしてGOMA やROVOをはじめとするミュージシャンのステージ演出や音楽フェス「ハイライフ八ヶ岳」のクリエイティブディレクターを務める。