WHO WE ARE
vol.01 | 2017 | December

OUR BASE #3 京丹後

VEJ甲府に続き、第3の拠点として立ち上がったのはVEJ京丹後。古株メンバーである藤原徹也は地元でテレワークに取り組むことになりますが、まさか1年で新たな拠点を作ることになるとは。その成り立ちはイレギュラーな形で発展していきました。伝統的な古民家から始まったVEJ京丹後、これまでの経緯と展望について。

写真:町田益宏

地元でテレワーク。新しい働き方を実践しながら、自分たちの技術を活かせる新しい枠組みを探していきたい

2016年にVEJ甲府を開設し、2017年には早くもVEJ京丹後がスタートしました。VEJ京丹後のメンバーは東京オフィスに勤務していた藤原徹也。映像部に所属する3DCGデザイナーです。VEJ甲府の宮沢は大学の先輩にあたり、藤原は大学卒業後に通っていた専門学校を卒業する時期に、宮沢に誘われる形でVEJに参加しました。
そんな古株メンバーの一人である藤原が生まれ育ったのは京都の京丹後市。自身の地元にVEJ京丹後オフィスを作ることになったのは、宮沢のケースとは経緯が異なり、ある意味で会社と本人としても想定外の出来事でした。

「上京してから帰省する度にいつかは地元に帰りたいと思っていました。でも、それは50,60歳くらいでいいかなと考えていたくらいで。僕には兄と姉がいて、二人とも実家まで車で3時間くらいの距離で生活しているんです。僕は妻と2歳と0歳の子どもたちと埼玉で暮らしている。その中で両親の老後をぼんやり考えていたんですね」

実家に帰省していくと、藤原の奥様が京丹後のファンに。藤原は「そもそも帰ってどうするの?」と突き放していました。ところが、昨年に帰省した時のこと。実家近くの海でふと地元の良さを感じると、東京に戻ってからも無性にそれを思い出すように。藤原の変化に奥様は気づき、そこではじめて地元に戻る前向きな話をしたのだとか。しかし、ここで不測の事態が起こります。

「親が病気を患って、帰るしかない状況になってしまったんです。それで池田さんにVEJを辞めたいと伝えたんですが、“辞めて明確な目標があれば応援するけど、なんとなく帰ってどうするの?”と冷静に話してくれて。“そもそも宮沢がテレワークしているのに、どうしてそれを考えないの?”と言われて我に帰りました。強いパーソナリティがある宮沢さんとは違って、自分にはテレワークはできないと思い込んでいたから」

池田はその場ですぐに京丹後についてリサーチ。すると、京丹後市としてテレワークを推進していることがわかりました。

「自分でも調べてみると、総務省がテレワーク関連のイベントを東京で開催するという情報を見つけて、それに参加しました。イベントで京丹後市の担当の方に聞いてみると、体験ツアーのお誘いを受けて、今年の7月に視察に行ったんです」

体験ツアーの時に、地元の友人から京丹後でシェアオフィスを運営している岡村芳広さんと出会いました。岡村さんからシェアオフィスを拡張していくプランを聞くと、物件を見学に。築年数およそ130年の古民家には、一級建築士事務所とリノベーションやドローンの空撮を手がける会社が既に入居していて、新しい何かが始まる予感を確信しました。行き当たりばったりではありましたが、VEJ京丹後が誕生した瞬間です。

「テレワークを始めてまだ間もないですが、早くも手応えはあります。こっちにはVEJとして僕一人だけなので、自分に主体性がないと何も始まらない。東京時代は舞い込んだ仕事にベストを尽くしていたけど、仕事を作るための行動が必要ですね。ここで僕が成果を出して成長できると、若手を含めて他のVEJスタッフの刺激になるはずですし、京丹後は東京との距離が甲府よりも遥かに遠いから、ある意味で本気のテレワークですよ(笑)」

新しい働き方を実践するためには実績を作っていくことが必要。それを実現できると、人口減少に悩む自治体にとって、移住者の獲得と若者の人口流出の回避に繋がる可能性を秘めています。

「テレワークの実践と同時に、教育という枠組みの中でVEJができることを探していきたいですね。僕にも2人の子どもがいますし、子どもたちに地元で働くことを諦めてほしくない。技術があれば京丹後を拠点にしていけるはずだから、まずは僕がそれを証明していければと」