Quarter of a century
vol.08 | 2025 | January

甲府のまちのカルチャーショップ&スペース
オープンから1 年を振り返る

2023年6月にオープンし、1年半が経った文化沼。VEJ山梨オフィス階下に出現した沼では、どんなことが行われていたのだろう。たくさんの企画を実現しながら感じた、文化沼の意味とは?言い出しっぺの宮沢喬(通称:ミッチェ)と店長の清水柊子の2人で振り返る。

なにが起こるかわからない!
見切り発車を支えるハコになった理由

ーーそもそも文化沼ができたきっかけは?

清水:「下の階が借りられちゃう!」という危機感からでしたよね。だから、実はオープンするずいぶん前に借りちゃっていて……。

宮沢:俺が見切り発車で言っちゃった感じはある(笑)。

清水:でも、お店をしたい気持ちはあって。いい物をつくっている人や気になる人が周りにたくさんいたので、私たちがいいなと思う物をセレクトして販売したらおもしろそうだと思ったんです。だから当初は、スタッフが好きなものを集めた雑貨屋寄りの店を考えていました。ただ、その頃からハイライフ八ヶ岳などの音楽祭やイベントをプロデュースする機会が増えて、お店だけじゃなく、展示やイベントができる箱にしたくなっていきました。まずは文化沼のロゴをデザインしてくれている浦川彰太さんに声をかけて、お客さんとフィールドワークをして、一緒に作成した地図の展示をするところから、文化沼が始まりました。

宮沢:その後も、すごくいろんなかたちの催しをしてきたけど、それが可能だった理由のひとつは、自由度の高い内装のおかげ。「何をやるかわからないんです。でもお願いしたい」っていう無茶振りに対しての、建築家の稲山貴則さんのアンサーが、箱方の什器だった。40個くらいあって、棚にもなるし、物置にもなるし、すごく助かってます。

きっかけはいつも「おもしろそう」
絵に描いた餅では終わらせない

ーーWeb制作などの仕事をしながら湯の運営もするのはすごく大変そう。

清水: 100パーセントを超えて稼働しているので、スタッフの割り振りを考えながらなんとかやっている感じですね。大変ではあるけれど、どんなに大変でも「やってよかった」ってなるんですよ。

宮沢:たしかにそうだね。そのなかでも、振り返ってみて文化沼らしさが詰まっているイベントとして、スナック沼の「おでんナイト」を挙げたい。これはたしか柊子が飲み屋で話していた内容が実現したんだけど、和食のお店、創作イタリアンのお店、ワイナリーの組み合わせで、その日限りのワインに合うおでんを開発してみようとなったんだよね。おでん、酒、音楽が揃っていたから、みんな滞在時間が長いんですよ。知らない人同士の交流も生まれて、子どもたちも楽しんでた。すごくいい空間だった理由は、企画のみならずその湯の空気も上手に柊子がつくっていたから。それは、ハイライフとかイベント企画の経験があるからできたことだと思う。

清水:お客さんが楽しんだだけじゃなく、おでんもワインもちゃんと売り上げにつながったことで、出店者側にも喜んでもらえたのもよかった。文化沼の企画って、必ずまちの人と話したり、自分が思いついたことがもとになっているんですよね。人との会話で「やりたい」と思ったらちゃんと有言実行したい。自分がおもしろそうだと感じたらかたちにしたい。それがすべての原動力になっています。おもしろいアイデアを共有してくれたら、なるべくそれをかたちにするのは、Web制作にもいえること。まさにVEJが掲げている「想いをカタチに」に通じています。

Webも紙モノも。
枠に収まりきらない、伝えたいこと

清水:今やっている(2024年11月半ば)「フジワラショップ」は、藤原印刷の藤原兄こと隆充さんが文化沼にやってきて「藤原印刷もここで一緒になにかやりたい」と言ってくれたのがきっかけ。展示内容を相談しているうちに、私たちの「ショップ」としての機能を生かす提案をしてくれて、藤原印刷が関わっている会社の商品をポップアップとして販売することになりました。1度目が好評で、半年後には2回目を開催しています。このかたちに可能性を感じてくれたみたいで、文化沼以外でも「フジワラショップ」を展開する準備もしているみたい。そういう動きは嬉しいですね。

宮沢:藤原さんは印刷会社、俺たちはWebの会社。全然違うように見えて「クライアントがいて、アウトプットしてるのは同じ」って話で共感したのを覚えてる。「フジワラショップ」は、アウトプットして伝えたいもの、たとえば会社のことだったり商品のことだったりを、立体的に伝える場として機能した展示といえるかな。

ビルからまちへ
文化の沼が広がっていく

宮沢:直近で行われていた甲府市の社会実験「こうふまちなかエリアプラットフォーム」との関わりも文化沼にとって大きな出来事だった。

清水:もともとミッチェさんと私は、個人的にエリアプラットフォームのメンバーとして話し合いに参加していました。事務局に採択されたプロジェクトのうち、私たちはオリオン通りの担当になったんですよね。

宮沢:同じくメンバーのひとりの稲山さんがストリートファニチャー、俺が掲示板をつくって。でも「ある」だけじゃ誰も利用しない。そこでオリオン通りの魅力を伝えるためのマルシェを企画し、そこに文化沼が運営で関わる建て付けになりました。

雨の想定をしてなくて1週間前にテントを友人にお願いして運んできたり、社外の人と協働する難しさや達成感があったりと、文化沼という箱のなかでやっているのとは違ったんだよね。オリオン通りは公共的な場所だから、通る人誰もが、文化沼的なものを感じられることに意味がある。正直にいえば、初めて触れる人にとって「おしゃれすぎる」とか「内輪ノリ」みたいなネガティプな意見もないわけじゃなかった。でも、「新しいものを生み出していくときに、そんな声は気にしないで」とまちの重鎮が言ってくれたのは励みになったな。思い切って、自分たちのやりたい企画を外に出してみて良かった。

ー一仕事の幅も、文化沼によって広がっているのでは?

宮沢:前提として、コロナ禍を経て、知人のWebサイトを前より多くつくるようになったことも大きいと思う。Webサイトの制作を依頼されるんだけど、実は求めていることは「サイトを納品」じゃなくて、課題を解決してほしい気持ちがあることがわかってきた。それは、クライアントとの関係性、山梨の地域性、あとはいろんな人にとって厳しい時代になってきたのも無関係ではないだろうね。

清水:たしかに、私がVEJの一員になってからの7~8年の間でも、求められることは変化していると感じます。

宮沢:そうだよね。抱えている課題は、売上を上げたい、採用がうまくいかない……本当にいろいろ。そうなると外部にいる俺たちとの話し合いも価値だし、アウトプットがWebじゃなくなる場合もある。対価も、お金以外のものになったりもする。だから、仕事はある意味複雑化し
ているのかもしれない。だけど、そこから文化が生まれるし、文化沼につながっている部分もあると思う。

なりたいのは、やっばり
「まちの電気屋さん」

宮沢: Webサイト制作も、イベントや展示のオーガナイズも、文化沼で商品を仕入れて売るのも、結局同じことをやっているんだって最近はっきり気づいちゃった。いいものをお客さんに伝えたい、届けたい、その想いだよね。ずっと池田さんが「まちの電気屋みたいな存在になりたいよね」って言ってるんだけど、その通りだと思う。周りに困っている人がいたら、自分ができることで精一杯助ける。それが、1番やりがいがある仕事なんじゃないかな。そうそう、「異質なものと異質なものを掛け合わせて文化が生まれる」つて書いてある本があったんだよ。

あらためて、25周年を機に掲げたカルチャーコード「Niche&Rich」に込めた想いにつながるなあ、と。nicheって、日が当たりにくいものみたいな意味合いもあるけど、そういうものに目線を合わせて、掛け合わせていくと文化になったり、richになったりするんだと思う。

清水:じゃあNiche&Rich≒文化沼ってことか!そう考えると、この1年間やってきたこと、今、私たちが大切にしたいこととしてこの合言葉ができたことも、全部つながる感じがしますね。