山梨にUターンして2年目の2016年夏。わたしは渋谷パルコのアパレル店員だった前職とは打って変わって、教員免許の資格を生かして、児童相談所に勤めていた。やりがいのある仕事だった。でも、“子どもが好き“という気持ちだけでは続けていくのが難しくて悩んでいた。
現在事務所をシェアしている加藤さんと食事したときのことだ。後に上司となるミッチェさんがアシスタントを探しているという話を耳にした。なんだか新しい扉を開ける予感がした。やったことのないウェブの仕事は自分には無理だろうなという気もしていた。それ以前に、ミッチェを「mitchel」の愛称だと思っていたわたしは、外国人とのコミュニケーションに不安もあった。
とりあえず話だけ聞いてみたいと、サシ飲みの機会をつくってもらった。飲み屋でわかったことは2つ。ミッチェさんは日本人だったこと。そして、骨折を過去に5回もしていることだ。その日の帰り道、ミッチェさんは酔った勢いで転び、6回目の骨折をする。


衝撃を与えられたわたしはVEJに入社することになる。未経験の不安は今だってある。でも、骨折しては立ち上がる上司の助けや大家族のお父さんのような社長の池田さん、個性豊かすぎるメンバーたちの支えは本当に心強い。最近は、山梨の伝統工芸品である印傳屋上原勇七のオンラインショップづくりに携わって、撮影ディレクションやページ構成など、わたしなりにできることの幅を広げている。地元企業と関わることで、仕事に誇りを持てるようになってきた。
入社数ヶ月後、わたしは人生初の骨折を経験することになる。わたしの扉は開いた。あなたの扉も開くことを願って。
